皆様、こんにちはm(__)m
いや、こんばんはだよ!ってツッコミは勘弁してね(^_^;)
この『押し入れの中の古書シリーズ』(長いので、以後古書’s)では、リアルワールドの「ラウル」や「リム」といったキャラ達、世界そのものの設定の原点を、古ぼけた本を見つけたリムやラウル達が読んでいく形で紹介しましょう。
某キャラ紹介の方でも書きましたが、リアルワールドの原形は10年前に決めたテーマに基づいて作られた『構想』にあります。もっとも、それを今まで完全には実行できずにきたわけですが…。
このテーマに基づいて書いた作品、書き上げられなかった作品がこの10年の間にいくつかあります。そのお話達が元になって今回のリアルワールドの設定が生まれていると言えます。
この『古書’s』ではそれらの“日の当たる”ことがなかった作品達を、短編にまとめて紹介します。それらがリアルワールドの諸設定の『根本』になります。
どれがどれの設定『元』になっているか?は、あえて書かないつもりです。どの『古書’s』作品に、どのキャラの設定・どの世界設定が生まれているのか答えを探って見てください。
解答はいずれ気が向いた時に(^_-)
なおリアルワールドのすべての諸設定が、私の過去の作品から生まれた……と言うわけでもありません。今回のためにあらためて加えた設定もあるので、そこのところに注意してください。
また、これらの過去の作品は『話の要点』を踏襲したもので、当時とは多少違う感じになっていることもお伝えしておきます。
私の過去作品なんて読まれた方もほとんどいないし、公表の手段なんてないので、無意味ではありますが(^^ゞ
「……あ〜ぁ、行っちゃったなぁ……ラウル君」
森の中を下っていく一本道。
村と街道をつなぐ、一本道。
ラウル君が下っていった、一本道………
ちゃんとおまじないかけたネックレス渡せたし、ラウル君もまた必ず来てくれるって言ったし、きちんと見送り出来たし………
「お別れかぁ………」
遠くに行っちゃうんだろなぁ………
…大人になるまでにって言ってくれたけど……
……でも、その間に……
ん?
「違う違う違う!ラウル君は『またネ!』っていったんだモン、ずぇ〜〜〜ったい、また会えるんだから!」
こんなところに座ってちゃだめ!
さっきからあんまり良いこと考えていないし、なによりこのお気に入りの服を着たままじゃ汚れちゃう!
「帰ろう!」
帰って、着替えて、タク達と暴れてスカッとしよ!
☆
「ただいまー!」
あたしが元気よく家の扉を空けると、誰も居ない食堂にお母さんが一人で座ってた。
なんだか、ちょっと暗そうな顔してたけど―――
「お帰り、リム。よかった………」
―――って言って笑顔になると、あたしのとこに来て抱きしめてくれた。
「ど、どうかしたの、お母さん?」
「……なにが?」
「だ、だっていきなり抱きしめるんだもん」
「ちょっとだけ、心配してたのよ………」
―――あたし、何か心配させるようなことしたっけ?
覚えないけどなぁ?
あたし、ラウル君を見送りに行っただけだし………
「……その顔、なんで心配されたかわかっていないわね?」
ギクッ、バレてる………
「だ、だって今度はなにもしていないもん。
そりゃ勝手にお気に入りの服をひっぱりだしてったけど」
この黄色のワンピース、なにかお祝い事とか、大事な日にお母さんが出してくれる服なんだよね、ほんとは。
これ、勝手に着たこと怒ってんのかな………
「でも、ラウル君の見送り、あたしにとっては大事なことだもん!」
「別にそのワンピースを着たことなんて、怒ってないわよ」
「へ?じ、じゃあ………」
―――ま、まさか、アレがバレちゃったんじゃ………
「リム、ラウル君を見送るためにやったのは、そのワンピースだけ?」
「(ギクッ)………」
「あたしの娘は、正直者だと思ったけれど?」
「…(ビクビクッ)……」
「今なら、罪も軽くなるわよ?」
「ゴメンなさぁい、お母さま♪
リム、お母様の化粧箱、ひっくり返しちゃった♪」
ごんっ!
「ン…ギャーーー!イタイタイタいたーい!」
なんの躊躇もなかったよ?!
速攻だよ!
ゲンコツだよ!
グーで脳天だよ〜〜〜!!
「痛いのは当たり前です、罰ですから」
「軽くなるって言ったのに………」
「軽くなっています。
アレはあなたのお父さんから、もらったものなんだから。なんの理由もなしにひっくり返していたら、家中の掃除のうえに『ご飯抜き』です」
「そ、そんなぁ〜」
―――鬼だ、あたしの母さんは鬼だ〜〜〜!
「それくらいですんでよかったと思いなさい」
「ふみぃ〜〜〜」
「さてと。どうだった、ラウル君の反応は?」
お母さんは近くの椅子に座ると、頭を抱えてるあたしにも座るように促して、そう聞いてきた。
「………ビックリしてたでしょ?」
「……ウン」
「やっぱりね。失礼な話しよねェ、人が必死になって綺麗に見せようと努力してんのに」
「……おかあさん、どうしてわかるの?」
「ラウル君、あなたのお父さんによく似た感じだからね、ひょっとしてって思ったの」
ってことはお母さんも、お父さんと似たような経験があるんだ………
「私もね、たまにやってよく怒られたわ。母さんの化粧品を勝手に使ってね。
そして今のあなたのようにガツン!って殴られてた」
「………」
―――こ、このガツン!っての、ウチの家系の伝統なのかな………
「さてと、ここにあなたが今朝ひっくり返した化粧箱があります」
「?」
「さ、始めましょうか。お昼の込み出す時間まであまり間がないからね」
「ふみ?」
何する気なんだろう、お母さん………
「まずあなたには今日一日、宿の手伝いとして掃除、洗濯、お客様の接待まで一通りやってもらいます」
「えー、なんでぇ?!」
「これは今回の洞窟での騒動の罰です。あの時はあなた自身も怪我をしていたし、ラウル君の顔を立ててあげることにしたのでなにも言いませんでした。が、少し反省の意味をこめてしなさい」
「……ブゥ」
「それで、その間の服装だけど……そのワンピースではダメ。かといって普段あなたが着ている服は、いつも泥だらけになって帰ってくるものだからいくら洗っても薄汚れているし………今回はこういう服を準備しました」
そう言って、母さんが足元においていた袋から取り出したものは………
「………こ、これ?」
「今朝、お母さんがあなた達と別れたあと、まだ作りかけだったこの衣装を大慌てて完成させたんだから。感謝しなさい」
「あまり嬉しくないような………」
「あら、袖なしの服とか、スカートをはかない方がよかったかしら?」
「そんなの、着ないもん!」
「だから、急いで完成してあげたんじゃない。
さ、早く着替えて。本当に忙しいのは、それからなんだから」
本当になにをする気なんだろ………
………なんだかあんまりイイ予感しないなぁ。
☆
「リム、これ八番テーブル!」
「ハ―イ♪」
厨房からお母さんの差し出す料理を、あたしが手際よくお凡に受け取って簡単に並べなおして………
―――あ、コレあたしの好きな香草蒸しだ♪
―――イイ香り〜♪
「リムちゃ〜ん、料理まだ?」
「ハーイ、いま行きま〜す」
いっけない、お昼だから小さな食堂に入りきれないくらい人が待っているんだった!
お盆持って慌てて八番テーブルまで走ってって……
「お待たせ―、香草蒸しです!」
「……へェ、話を聞いて今日のお昼は若葉亭で食べることにしたんだけど」
「?」
「ほらみろ。
ほんとにあのリムちゃんが、ちゃんと小奇麗な服着て化粧までして……着飾ってって言っちゃあ変だが、おめかしして店を手伝ってるだろう?」
「ああ、ほんとだった。小奇麗って言うかエプロンドレス?
………なんにしても、あのお転婆なリムちゃんが着ているのに、似合っていると言うのがすごいよな」
―――な、なんか喜んでイイのかよくわかんないなァ………
「明日は大雪かもなぁ………」
「お、おじちゃ〜ん、いまは夏、晩夏だよ?」
「そんな軽いものか?ワシは大地震くらいはあるかもしれんとおもっとる」
「おっちゃん達、いったいあたしのこと、どう見えてんのよ?」
―――ったく、いったいどういう目であたしのこと見てんだろ!
でも無理ないかなぁ。
あたしだってビックリしてんだもん。
こんな格好させられるなんてさぁ。
―――あのあとお母さんが、あたしにしたこと………
それは化粧!
『あなたはまだ凝ったことする必要ないの、若いんだから。
なんでもかんでもゴチャゴチャとつけるから、うまくいかなくて……あせって化粧箱をひっくり返したりするの』
とか言って、あたしにこの服着せて、ほんのちょっとだけ化粧してくれたの。
『あなたくらいの年齢なら、コレで十分なのよ』
って……。
ほんとにほとんどなにもしていなくて、後はこの服のこまかな調整を慌ててやってただけ。その間あたしは………
―――ほんとにこんなんでイイのかなァ?
―――あたし、朝になる前に帰ってきてから、ラウル君を見送りに行くまで何度も挑戦して一回もうまく出来なかったのに………
とか思っていたけど………
「どうしたのリムちゃん、今日はかわいいカッコして……でも、似合ってるよ!」
「まだまだ子供と思っていたけど……ちょっと色っぽいぞ、リムちゃん」
「ちゃんとアリアちゃんの血、引いていたんだなぁ」
とかって言われると、悪い気はしない……かな?
―――最後のはちょっとムカッてするけど………
「リィーム!」
「はぁい?」
「もう少ししたらお昼食べさせてあげるから、がんばって働きなさいっ」
「はいはーい♪」
「そのあと裏の倉庫の掃除、お願いね!」
「えぇ〜〜、そんなぁ」
あそこ、昼間でも暗くて……ちょっと怖いのにぃ。
☆
「うっわァ………」
お昼食べて、掃除道具をお母さんに渡されて、そして倉庫の扉を開けたあたしの最初の一言がコレ。
どれくらいヒドイか、大体わかるでしょ〜………
「ヤになっちゃうなぁ……ここが終わったら遊んでもイイって言ってたけど、こんなの明日までやっても終わらないよ」
きっと隙間から吹き込んだんだろうなぁ、床は砂や泥があちこちにたまってるよぉ。
置いてある荷物や、古びた棚には厚くほこりがたまってて………いったいどこからこんなに集まってくるのか、聞きたくなっちゃうくらい。
「はぁ、どっから始めたら良いんだろ?」
…キョロ……
……キョロ…
………ふぅ。
「あ〜もゥ、あっちもこっちもホコリだらけ!」
こうなったら、片っ端からやってやろうじゃない!
どーせ見てるだけじゃ、いつまでたってもおわんないもん!
まずは思いっきり入り口を開けて!
「てぃ!」
がんっ! がたたんッ
アレ……蹴ったら、扉、外れちゃった………
「きっと長く使っていないから、モロくなっていたんだ。うん、きっとそうだ、そうに違いない!」
………
……ま、いいや!この方が掃除しやすかったって言えば。
次にマスクをして………
ホウキと、ハタキ持って……
「ほぉひ、ひゅんびかんひょう(よし、準備完了)!」
―――よぉーし、憎きゴミとホコリの巣窟に向かってェ………
「ほぉふへきーー!(突撃―!)」
ドッカンばったんガラガラッどんがらガッシャンんきゃーーー!ゴロゴロがっしゃんッがっちゃんッパリンッパリンッごっつん!スッテンッゴロゴロッいや〜〜〜っバタバタッちゅーちゅー!ンニャ〜〜〜!こんにゃろー!ブンッがん!カンッカンッころろろっ(フミッ)コリリッ!
「ぴゃッ………」
ごーん!バサバサバサバサ………
「ン〜〜ン〜〜〜〜ッ」
ぴ〜〜〜ッきゅ〜〜〜っギュ〜〜〜ッ
イ・タ・イ〜〜〜〜!
こ、声が出ないくらい痛い〜〜〜!
わけわかなんいくらい、後ろ頭が痛い〜〜!
とにかく痛いよォ!
「……あぁ……痛かったぁ………」
あたし、この倉庫掃除してて、なにか踏んで転んで後ろ頭ぶつけたんだ。
それで頭抱えてのたうちまわってた、と思う。
「………」
―――はぁ、なんだか災難続きだなぁ……最近のあたし。
―――なんとなく意図的なものを感じるような?
「ねぇ神様ぁ、あたし使って遊んでませんか?ひょっとしてぇ………」
ボヤいてから、しばらく待ってみたけど……やっぱり返事なんてなかった。そりゃあ、あたしはあんまり神様とか、信じてる方じゃないけど、こんなに色々起きるんじゃ疑っちゃうよ。
「………」
はぁ、馬鹿なこと考えてないで、早く済ませちゃお。
「よいしょっ………って、なに、これ?」
真っ黒なモノが、あたしのお腹の上にのってる………これって、本?
なんだかとんでもないくらい分厚い本が、何冊もあたしの上に乗ってる………
「……ひょっとして」
あたしが後ろを振り返ってみると、そこには棚の半分くらいが空になってしまった本棚があった。つまり、あたしが頭をぶつけたこの本棚から、この本が降り注いできたってわけね。
「これ、全部本棚に戻さなくちゃいけないって、想像するだけで嫌だなぁ」
でもあたしが落としたんだし、しようがないかぁ。
このままじゃあたしが起きあがれないから、まずはのってる本を落としてと。
ドサドサ、ばさばさばさ………
あれ?
「この本、なにか絵が描いてあったような……」
上に乗っている本をとりあえず落としていると、その内の一冊がたまたま開いたページになにか描いてあったの。それでちょっと見てみようと思ったんだけど………
―――暗くてよく見えないよぉ
「………えーい、もう!
早く掃除済ませたいのに、気になっちゃうじゃないッ」
一応迷ったんだけど、やっぱり気になっちゃって。
あたしはその本を持って、外の明るいところに持ち出すことにしたの。本当はこんな両手でやっと持てるような本なんて、外に出せば戻すのも大変なことくらい分かってんだけ
ど。
「よいしょ、ヨイショ、よいしょッと!」
やっぱりあたしの、このあふれんがばかりの知的好奇心と言うものが、放っておくなんて許さないのよネ♪
―――……誰よ、そこで笑ってんの。
―――あんたヨあんた!いま目をそらしたヤツ!
―――覚えておきなさいよッ掃除が終わったらコテンパンにしてやるんだから!
ドサッ!
さぁ〜て、どんな本なのかなぁ……・
「せぇ〜の、フゥーーーッ」
表紙の文字も見えないくらいに積もっているホコリを、あたしは吹き飛ばそうとしたんだけど………
ぶわぁぁぁ……
「んきゃー!ケホッケッホケッホケホケホ!」
なにこれ!
スッゴイホコリが舞いあがって(ケホケホッ)
いつのまにかマスクも外れてるし(ケッホケホ!)
ちょっと、異常じゃない!?(ゲホゲホゲホッ)
―――ん?
右手見て、左手見て、エプロン見て、スカート見て……
「ほ、ホコリまみれだぁ〜〜〜」
せっかくみんなにカワイイって言われてたのにィ、ちょっと悲しいなぁ。
しようがないかぁ………
「まぁいいや、落ち込んでても仕方ないよね。
さて、題名はなにかなァ?」
吹いても残っているほこりを手で払って、ようやく出てきたこの本の題名らしい金色の文字。ちょっと剥げちゃってて、読みにくかったけど………
「えっと、『ある精霊の物語』?」
なんか月並みねぇ。どんな話しなんだろ?
―――あれ?おかあさん?
とても厚みがある表紙を開いたすぐのページ、そこにお兄さんとお姉さんが一人ずつ描かれてた。そのお姉さんの方が、なんだかとてもお母さんに似ているように見えたんだけ
ど………
「……まさか、ね?」
だってこの本、ホコリまみれなことを除いても大分痛んでるもん。きっと相当古いものだと思う。そんな本にお母さんが出てるなんて、そんなこといくらなんでもないよ。
「ちょっと読んでみよう、それが早いや」
あたしはチョッとの緊張と期待をもって、その本を前に座り直した。もう、この服が汚れるとか気にならないもン。
どうせホコリまみれだしね。
「なんかワクワクするなぁ、どんな話しなんだろ♪」
あたしは古ぼけた本のページを、少しずつ開いていった………
とある山間に、森に恵まれた村があった。
森は村の人々に、豊富な食料を分け与えてくれる。
また森は美しい水を作り、水は小川となって村へと流れていた。
美しい流れの小川には魚が住み、村の周囲には花が咲き、少ない土地ながらも農作物がよく育っていた。
村の人々は森の恵みに感謝し、とても大切にしていた。
これは、そんな山村に生まれ育った若者の物語である。
その若者の名は、『ラル』という。
「ラル、また釣りか?」
一人の老人が若者に声をかけた。
向かいの家の縁側、そこに座って湯のみを手に初夏の日差しを浴びる老人が声の主だった。その老人に、若者は自慢の釣竿を軽く掲げて見せる。
「お前もよくまぁ、釣りばかりするのぅ」
「ええ、好きですから。釣りも、魚も、森も」
若者はごく自然な笑顔を老人に見せていた。
彼の釣り好きは、村の誰もが知っていることだ。時間さえあれば、糸を垂らしに川へと出向いている。
「釣れたら、またおすそ分けしますね」
「いつもすまんの、ラル。
森の恵みは皆のもの、お前はそれをよく理解している………なぜそのお前にオナゴの一人も寄り添わないのか、ワシには不思議じゃよ」
「日なが一日釣りばかりしている、そんな者に誰も興味など持ちませんよ」
若者はそう言って老人に手を振った。老人も湯飲みをほんの少し動かして、それに答える。それを見ると、若者は川の上流へと向かって村を出た。
村を出て、そばを流れる川にそって上流へと登る。
毎日のように釣りをする若者にとっては、歩き馴れた道だ。
しかし彼がこの道の景色に、飽きたことはない。
―――ひと目見ただけなら、まるで何も変化の無いように見える景色。でもまったく変化しないことなんて、一度もない。
「森の木々も、水辺の草花も、清らかな水の流れも、そのすべてが常に生命の営みという変化を続けている………」
若者は時折足を止めては、軽く瞳を閉じていた。
まるで彼等の生命への賛歌が、この若者には聞こえるかのように。
そしてしばらくの後、彼の好きな釣りの場所へとまた歩きだす。釣りの場に辿り着くまでに、彼はそれを何度もそれを繰り返す。長い時間をかけてようやく釣り場に辿り着けば、今度は何も工夫もなく釣り糸を垂らして時間の許す限り物思いにふける………
まるでそれが日課のように、彼は同じようなことを繰り返していた。
そしてその日も彼は、飽きることなく同じ道を同じように登り、同じように釣り糸を流れる水面に垂らすつもりだった。常に変化をし続ける、何も変わり映えの無い景色を見ながら。
しかし、その日はちがった。
彼が望んだわけではない。しかし、確かに普段とは違う風景がそこにあった。
いつも通りのホンのわずかな、変化を連ねる景色。
その中に一つの異点があったのだ。
―――私しか来ないような、こんな川の上流に人がいる………それも若い女性なんて、珍しいこともあるものだな。
ちょうどその女性のいる場所は、若者がいつも釣りをするところだった。彼が釣りをする時に座る岩に、その女性が座っていたのだ。
彼女は若者に気付くことなく、なにかを思い、流れる水面を見ているようだった。
―――さて、どうしようか?イス代わりの岩は譲っても構わないけれど………
―――私があの場所以外で釣りをするには、もう少し上側に行きたい。下側のこの辺りでは濡れてしまうから。
「けれどそれは、彼女の側を通らねばならない。
あのように思いにふけっている彼女に、私は挨拶の声をかけるべきだろうか?」
女性が居ることに気付いた若者は、自分の背丈の十倍も、二十倍も離れたところで足を止めて悩みだしていた。
いつもと同じように好きな釣りをしながら、物思いにふけようと歩いて来た。なのに、それが出来ない。
彼は不思議な違和感を感じながら、悩んでいた。
―――私は物思いにふける間、誰にも干渉されたくない………
―――だから、ここまで登ってくるようになった。
―――もしもあの女性も同じならぱ、やはり干渉されたくはないのではないだろうか?
「だが、もしも彼女のために私が身を引くならば、私は何のためにここまで登ってきたのだろう?」
若者がいくら考えても、結論はなかなか見えてこない。
女性の邪魔をしたくない思いと、自らの希望。
その狭間で彼は、小一時間ほど悩んでいただろうか………変化は唐突に上から降りてきた。
「なぜ、そこで悩んでいるのですか?」
とても静かな声に、立ったまま水面を見て悩んでいた若者が声の方を向いた。
―――あれ?
しかし、そこには誰もいない。
いや、その先にあの女性がいた。あの岩に座ったまま、こちらを見ている。
なぜか違和感を覚えながら、若者は女性に近づくことにした。
―――もう気付かれてしまったなら、このまま去っても何も意味はない。
若者は大声を出さなくても話せるところまで、彼女の近くへ行くことを選んだ。
一言、挨拶だけでも交わしていこうと思ったのだ。
「こんにちは」
「………」
「すみませんでした、邪魔をする気はなかったのですが………」
どこか焦点の合ってないような、ぼんやりとした瞳で自分を見つめる女性。そんな彼女に多少戸惑いながら、彼は少し言葉を選びながら話す。
「じゃ…ま?」
「その、なにか……考えていらしたようなので………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「……別に………なにも、考えてなんて、いないから………」
「………そう…ですか」
長い空白のあとに、ようやく彼女が口にした言葉がそれだった。
たどたどしく返ってきた返事に戸惑い、彼はそう答えるのが精一杯だった。
そしてまた、空白が連なっていく………
―――亜麻色の髪をした、美しい女性………
―――どこかはかなげで………彼女は本当にそこにいるのだろうか?
―――そもそも、なぜ、こんなところに一人でいるのだろう?
素朴な、とても素朴な疑問。
ただ、それを訊ねて良いのか………若者には、わからなかった。
その彼に―――
「あなたは……なぜここに………」
―――と女性が質問してきた。
「私は………釣りに、来ました」
つり竿を持っている自分の姿を見てなお、『なぜ』と聞く女性に、答える若者。その彼に、女性が先ほどよりは短い“間”で、新たに問い掛ける。
「………なぜ……つりを…するのですか」
「私は……私達は、なにかを食べなくては生きていくことが出来ませんから。だから、私は魚を釣りに川に来ます。木の実を求めて森に入ります」
―――私は……なぜこんなことを言うのだろう?
普通の人なら誰でも知っている。いや、知らなくてはならないことを口にする自分に、彼は戸惑いを覚える。
「………」
「………」
―――この女性は、そんな事を聞きたがっているのだろうか?
違うのではないか?
私がここにいる理由。それは、そんな生きるためのモノばかりではないのだから………
「………」
若者はなにも言わずに、やはり焦点の合っていないような瞳で自分を見る少女のとなりに座った。そしてエサもつけずに小さく竿を振り、糸を水面へ落とす。
「………」
「だけど………ここで魚が釣れなくなっても、私はここに来るでしょうね」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………なぜ…ですか」
再び長い空白、その空白が広がりつづけるのを止めたのは女性の方だった。その声は、それまでと同じ。まるでなにも意味を込められていないような、彼女がそこにいることす
ら錯覚ではないかと思えてしまいそうな声………
まるで、木々のざわめきのような音。
「好きだから……でしょうね。
私はここに糸を垂らして、物思いにふけっていると………私も森の住人になれそうな、森の一部になれそうな気がして……とても好きだから」
「………そう…ですか」
「ええ、そんな気がするんです」
それが、ラルと彼女の、出会いだった。
彼女は翌日も、同じ場所にいた。
その翌日も、翌々日も、一週間後も、ラルが釣りに行くと、彼女は同じ場所にいた。
同じ場所で、同じように焦点の合っているのかわからない瞳で、小川の水面を見ている。
毎日、同じ道を登り、同じ場所で釣りをするラルは、あの日から毎日彼女と出会うようになった。
別にそう話した事も、決めたこともない。
彼の行くところに彼女がいて、彼女の居るところに彼が来るのだろう。
ただ、それだけのこと。
なにかを話そうと思って行くわけでもない。なにか、希望を持っているわけでもない。
だけど、二人は毎日出会っていた。
「やぁ、こんにちは」
「……こんにちは」
いつもの道を登ってきたラルは、いつものように軽く手をあげて挨拶の声をかける。彼女が彼の方を向いて、一呼吸ほど遅れて挨拶を返してくれる。そして彼は何も言わずに彼女の隣に、正確には彼女の座る岩のとなりで、地面に座り釣り糸を垂らす。
そしてほとんど一言も交わすことなく、日が傾くまで二人はそのまま水面を見て過ごす………
そんな日々が流れ、夏が過ぎ、秋が訪れ、冬が近くまで忍び寄ってきた。
「ラル、今日も釣りか?」
「ハイッ、今日も釣りです」
聞きなれた声……彼はわざわざ確認しなくてもその声の主がわかっていた。いつもと同じように湯のみを手に縁側に座る、向かいの家の老人である。
「……ラル、お前、最近顔がよくなったな」
「そうでしょうか?両親からもらったこの顔は、初夏には葉が茂り、晩秋には枯葉舞う森に比べると………何ら変わっていないと思いますが」
「形ではない。昔のお前はボンヤリと光る、月を思わせるような顔をしていた。
しかし、近頃のお前は………太陽と言っては大げさかもしれんが、輝いているかのように見える」
「輝いて、ですか?」
「そうじゃ、良い顔つきをしている。なにか良いことがあったのか?」
「そうですね………」
彼は少し考えるとなにか思いついたように、ほんの少し微笑を浮かべる。
「私は昔から森のざわめきと、小川のせせらぎの中に身を置くことが好きでした。なぜか?―――それは考えてもわかりませんでした」
静かに語り出した彼、その言葉に耳を傾ける老人。
晩秋特有の木枯らしさえも、まるで彼の言葉に聞き耳を立てているかのように大人しく止んでいた。
「でも最近の私には、わかるんです。とても楽しい、なにも無いのですけど………不思議と楽しいのです」
ラルの言葉に、老人は少し驚いたように目を見開いた。
「楽しい?
なにが楽しいのかではなく、楽しいということがわかったと?」
「はい。なにがあると言うわけでもない……ただ、ひとときの時間を共有するだけ。なのに、それが楽しいんです」
とても、とても自然な笑顔。
そう答えた時のラルの笑顔は、まるで無垢な赤子のような笑顔をしていた。
「ラル、おぬし………もしや森で誰かと会っているのではないか?」
「………」
「どうなのだ?」
「……私は誰かに会うために、釣りに行っているわけではありません。もしもそこに誰かが居たとしても、それは偶然であって、必然的に会ったわけではないでしょう?」
ラルはそう答えて、老人に苦笑して見せた。
そんな彼に一つ小さなため息をつくと、若者と同じような苦笑を浮かべて見せた。
「なんとも前途多難な感じよのぉ……」
「あの人と初めて会ったのは、まだ夏も始まったばかりのころ。私が知っているのは、“サラ”という名前だけです」
「………そのサラという娘、翠の髪をしていたか?」
「え?……いえ、美しい亜麻色の髪をしています………」
「……そう、か」
老人はラルの返事に、うつむいてしまった。
そして一呼吸、二呼吸………再び顔を上げた老人のその表情は、目を細めて微笑を浮かべていた。
「ラル、なにか困ったこと、迷ったことがあればなんでも相談するのじゃ。ワシは、ワシに出来る限りのことを、お前にしてやろう」
「………」
「よいな?」
「……はい」
なぜか老人の笑みに決意のようなものを感じたラルは、気圧される様に頷いていた。そんなラルに老人は満足げに一度、二度と頷く。
「それとな、ラル。今夜あたり、もうすぐ来る冬に備えて、恵みの森から薪となる木を選ぶ話し合いがあるじゃろう。大切な森から、一冬過ごすために必要なだけ木を切り出すための大事な話し合いじゃ」
老人の言葉に、ラルの顔に険しさと哀しみが混ざり合ったような複雑な表情が浮かぶ。それを見取った老人は、間を置くかのようにすっかり冷めてしまったお茶を少しすすっ
た。
「………」
「……どの木を選び、切り倒すのか?これはとても大事なこと、ゆえに長老が選び、村の皆全員の同意を持ってその木を切る事になっている。
お前もキチンと参加するのじゃぞ、ラルよ」
「………はい」
「そう暗い顔をするな。森の木々を大事に思うお前の気持ち、わからんわけではない。しかし、薪が無くては冬の寒さで死に行くものも出るじゃろう。やむ得ないことなのだ。
またそれも森の恵み、われわれは常に森に感謝せねばならない」
「……はい、わかっているつもりです………」
☆
「……すっかり葉も散ってしまったなぁ」
朝。
日が登り、まだ間もない時間。
時折、木枯らしが吹き、枯葉を空へと舞い上げる。
「秋は……嫌な季節だ。冬が来ることを実感させられる………」
ラルは枯葉の舞ういつもの道を、いつもの様につり竿を手に上流へと歩いていた。
―――薪となる木を選ぶ……か。今年はついに選ばれてしまうかもしれないな。
ラルは視線を少し左へと向けた。その先には、一際高い一本の巨木が見えている。
「………寄って行こう」
彼は足の向きを変え、川の流れはから離れて巨木へと歩き出した。
川の側を歩くのとは違い、木々が不規則に立ち並ぶ森の中は多少歩きにくい。あらゆる所から木の根がのび、所々では石や岩が彼の歩みを邪魔する。さらにこの時期は、枯葉が木の根の合間に高く積もり滑りやすく危険である。
しかし彼が、それらを不快に思ったことはなかった。
『なぜそんなに笑顔で森の中を歩くことが出来るの?』
以前、木の根につまずいて泣いていた子供を抱き上げてやった時、そう質問されたことがあった。彼はその子供に―――
『それが森の、自然な姿だから………この根も、石も、岩も、みんな森が私達と遊ぶために準備したものだから』
『あそぶの?』
『そう、遊んでごらん。お兄さんは楽しいから、いつも笑っているんだよ』
―――楽しい……
―――そう、最近は特に楽しいな、森に入ることが。
楽しい。
それがなぜか、彼はもう気付いていた。
すべてはあの日から変わりだしたのだということに。
―――あの日、森の木々よりも変化のなかった私の日々に、大きな変化が起きた。
―――始まりは疑問だった。そしてそれが、私の普通の日々となった。
「………ア…」
―――そしてあの日、私の日々を変えたように、彼女は再び私に変化をもたらすらしい………
「やぁ、おはよう、サラさん」
「……おはよう」
この森で一番の巨木、そしてこの森で一番の老木。
その根に、彼女は座っていた。
まるで彼が来るのを待っていたかのように………
「今日は意外な所で会ったね」
「…意外、ですか」
「いつも、川の上流でばかり会っていたから」
いつもの様にどこか存在感の無い彼女。
焦点が合っていないかのような、意思を感じない瞳。
そして太陽の光りに美しく輝く亜麻色の髪………
―――あれ?……前髪にひと房だけ、翠の髪が?
ラルが驚いた様に、老木の根に座る彼女の前髪にはほんのひとつまみ程度だけながら、翠の艶やかな髪が混じっていた。
「……そろそろ村の“薪決め”の日が来るはずですから」
「あ……ああ、それなら今夜だよ。今度の冬を過ごすための薪になってもらう木を、村のみんなで決めることになっている」
「あなたが以前、私と初めて会った時に言われた言葉………本当ならば、ここに来てくださると思って待っていました」
―――つまり、待っていた?
彼女の言葉になぜか違和感を感じながら、自分がなにを言ったのかを思い出そうとするラル。しかし違和感のことが気になるせいで、思い出すことがなかなか出来ない………。
「……あなたは、魚が釣れなくなっても来ると言っていました。私が理由を聞くと、
『私も森の住人に成れそうな、森の一部に成れそうな気がして……』
と言っていました」
自らの言葉をすぐに思い出すことが出来ず、ラルが戸惑っているのを見取った彼女がやわらかな声で話している。その彼女を見てようやく彼は、それまで感じていた“違和感”に気付いて、驚いていた。
―――ひと房だけ翠色になった前髪も驚いたけど、これだけ“彼女から”話すなんてことは今までなかった!
ラルがなにか聞いても、頷くか、なにも答えず聞き流す………そんな彼女がいま、自ら彼に対して話しかけている。
その違い、彼女のいつにない多弁さが、ラルの感じた違和感の正体だった。
驚いている彼に気付いていないのか、彼女は語り続ける。
「あなたのあの言葉が本当ならば、選ばれると思う木に別れを言いに来てくれると思っていました。そしてそれが………この“木”だと思うだろうと」
「なぜ………この木だと?」
「一番老いている木だから。ついにこの夏、若葉を出すことが出来なかったから………」
その事はラルも気がついていた。
この老木はこの夏、ついに若葉を開くことはなかった。だから彼もこの別れは必然的なものだろうと、ある程度諦めていたのだから。
「もう、いまさら、遅いのに………」
木の根に座ったまま、彼女がゆっくりと上を見上げる。それにつられる様にラルも上へと視線を向けた。しばらくの間、視線を迷わせて………そしてそれを見つけた。
「ひと枝………たったひと枝だけど、翠の若葉がある!」
―――こんな秋のさなかに、なぜ?
「あれが………の精一杯でした」
「え?」
「ラルさん、これを………」
彼が視線を降ろすと、彼女がそばに来ていた。差し出すその手には、ろくに成熟していない木の実を一つのせている。
「これは、この老木の?」
「受け取ってください。ラルさんに持っていて欲しいから………」
「………」
戸惑いながら、彼はその実を手に取った。本来の大きさの半分にもなっていない、未成熟の実。
「……その実、今夜一晩は食べないでください」
「………なぜ?」
―――こんな未成熟の実………
―――もしこの老木の最後の実ではないとしても、口にするなんて思えないのに
「………」
「………」
「……ゴメン…なさい。いま、私の口からは………言えません」
いま向かい合って立つ二人、サラとラルでは、背丈が頭一つほど彼女の方が低い。
いつもなら、なにも言わず……なにも答えずに隠してしまう彼女。その彼女が彼から顔も、目もそらさずに見つめて、謝っていた。
そして彼女は続けて、ラルに言った。
『………お別れです』と。
「なぜ?」
「………」
その質問が、彼女を苦しめるということを、彼に理解できないわけじゃない。
でも、言わずにはいられなかった。
彼はもう、自分が単純に森が好きで、それだけで小川の水面に釣り糸を垂らしに来ていたあの頃とは違うことに気付いてしまっていた。
「……あなたは、森の木々に意思があることを知っていますか?」
突然の話に焦りを隠しきれないラルを前に、彼女は周囲の木々を指して言った。その瞳はラルには見えない何かが、彼女には見えているかのようにハッキリとした“モノ”があった。
―――ずるい……よな。
いつも焦点の合わないような、ボンヤリとした瞳をしていた彼女。
亜麻色の髪の美しさとは反対に、存在感がまるで薄かった彼女。
彼が何を話し掛けても言葉の少なく、うなずくだけの彼女。
「木々にも意思はあります」
「………」
彼にとっての『彼女』。
その全てを否定してしまうかのような姿が、いま彼の目の前にあった。
ラルの心に怒りと嫉妬のような、闇と影のような感情が生まれ混ざり合い、渦巻き始める。
「私が、そうであるように………」
耳からサラの声が遠のき、それまで感じたことのない何かが、彼の中に形作られていくのを実感する………
―――私は別に彼女と何かを約束したわけではない、何かを語り合ったわけでもない。
―――なのになぜ、こんな感情が………
《ラル……》
「え………」
彼の中で、黒い感情が渦巻き何かを作り出そうとする。その現実に戸惑い、それでも必死に抵抗する。しかしその抵抗はあまりにもモロく、音をたてて崩れていく………。
その彼の心に、名を呼ぶ声が響いた。それはまるで直接彼の心に打ち込まれたように響き、そして黒い感情は霧散していた。
「……今のは、キミ?」
「ごめんなさい、説明している時間がないの………」
「………行ってしまうのか?」
「ううん。いかない、どこにもいけない………」
「え?でも、お別れって」
「ごめんなさい、もう時間がないの、お願い、手を………」
「え?」
「おねがい………」
ラルがサラへ、そっと手を伸ばす。彼女はその彼の手のさらに内へと、倒れ込むように入って行く。
しかし―――
「な…っ……」
無情にも、彼女の身体はラルの身体を、すり抜けてしまった。
サラがラルの手を避けたわけではない。文字通りラルの身体を、まるで実体がないかのように………
《ああ……もう、手遅れだった……なんて………》
「そんな、馬鹿な!?」
《ラル……ごめんなさい………》
彼が振り向いたそこには、かすれるようにその姿が薄れていくサラがいた。
まるで今までのことが、幻のようにサラの姿が消えていってしまう。その彼女に無我夢中になって手を伸ばすラル。しかし彼の手は、再び彼女の手をすり抜けてしまった。
そして、彼女は消えた。
その場にラルと、老木の実を残して………
☆
「私は……私が見ていたものはいったい、なんだったのでしょう………」
彼女が、サラが目前で消えてしまってから、ラルは日が傾くまで彼女の姿を追いもとめた。
しかし、再び彼女を見ることはなかった。
訪れる夕闇に追い払われる様に、彼は力なく家への帰路につていた。向かいの老人がそんな彼を見つけて、多少無理やりに自分の家へと連れたのだ。
「白昼夢だ、と言われて………お主は納得できるか?」
老人に問われ、ラルは力なく首を横に振った。
今朝との変貌振りに驚いた老人に問われるままに、ラルはこれまでのいきさつを話していた。初夏に出会い、そして今日消えてしまった彼女のことを。
―――出来るはずがない……彼女は確かにいたのだから。
彼の手には、まだ食するには早すぎる木の実が一つ、握られている。本来ならば大人の両手の平をつないだよりも、大きくなることすらある実だ。しかしラルの手にある実は、彼の片手の平に納まるほどの大きさしかない。その分だろうか、とてもあの老木のものとは思えないほど、みずみずしい実であったが。
「彼女は確かに“いた”んです。それだけは、間違いのない事実なのですから………」
力なくうなだれ、独り言のようにつぶやくラル。
目の前の若者の姿に、老人は己が眼を疑いたくなった。
「やれやれ、しようのない奴じゃな。そんなになるほど好きなのだと気付いたなら、なぜ会いに行かん?」
老人は若者の顔を覗き込み、さも不思議そうにそう言った。その声はまるで答えを知っている大人が子供に諭すかのような、どこか軽く、どこか優しいものだった。
しかし今のラルには、その軽さが神経を逆撫でる。
「……どうすればいいと言うのです。その会うことそのものが、姿を見ることすら出来ないというのに………」
「ラル。そう言うことはやるべきこと、やれるだけのことをやってから、言うものじゃ」
荒くなりそうになる言葉を、必死に押さえているような低い声で講義するラル。その彼に老人は、一言一言を区切り、やはり子供に諭すかのように話してみせる。
「でも、私は!」
「日が暮れるまで捜し歩いた、でも見つけられない」
「……その通り、です」
彼が何を言うか、老人はすっかり見透かしていた。その事実をラルは再びうな垂れるようにして認めた。
「姿ばかりを追っておるからじゃ。真実に気付くことの出来ぬようなお主ではあるまいが?」
老人の言葉に、若者は一度顔を上げた。正面から老人と向き合い、そしてすぐに視線をはずす。そのはずした視線の先には、自らの手にある一つの木の実。
「………怖いんです」
「怖い?なにを怖がる?」
「………もし私の考え通りだとすれば、いったいどうすればいいのか?
私には、まったくわからないから……」
「なに、お主は恵まれとる。外を見てみぃ」
老人にうながされ、ラルは手近な小窓へ歩み寄り戸を開けてみた。外はすっかり暗くなってしまっていた。夜空には星が輝き、そして丸い月が………
「青い月……青く輝く月、蒼夜月ですね………」
「そうじゃ。天に昇った人たちに再会できる夜。そんなことも伝えられている、年に何度とない不思議な夜じゃ。
運が良かったな、ラル」
「……どういうことですか?」
「ふむ………」
微笑む老人の意図が分からず、彼は再び蒼い月を見上げながら問い訊ねる。老人は焦りと苛立ちの見え隠れする彼の問いかけを、お茶をすする仕草で空かした。
「……説明は後じゃな。ワシとて確信があるわけではないが、希望はあるはずじゃよ。
さて、そろそろ薪決めの議が始まる」
「………」
「お主は出来る限りのことをしてみるがいい。ワシも出来る限りの助力をしてやろう」
「……ありがとうございます」
「なに、いつも分けてくれた魚の礼じゃよ。お主、一匹しか連れなくてもワシに持ってきてくれよったからな」
「ご、ご存知でしたか」
「ワハハハッ、あまり年寄りを甘く見るでない。
ラル、薪決めの議の方はワシが出来る限りのことをしてみよう。しかし、おそらくあの老木を救うことは難しい。この冬、薪がなくては寒さで死んでしまう者が出るのは間違いのない事じゃからな」
「………そう、ですね…」
「一晩じゃ」
「え?」
「どのみち、お主が望みの娘と会えるかもしれんのは今夜。この蒼月夜しかチャンスはあるまい。一晩で決断するんじゃ、良いな!」
「ひ、一晩ですか?!」
「一晩だけでも、あるだけ良いと思わんか!そんなに時間が欲しいなら、さっさと行けッ」
「………はい!あとのこと、お願いしますッ」
ラルは夜空に顔を出した蒼月へ目を向け、数瞬の後に一度老人に頭を下げると家を飛び出していった。老人は苦笑しながらそんな若人を見送る。
「まったく、再び会うことが出来るだけでも恵まれていると言うのに………今更迷うなどとするでないぞ、ラルよ。
さて、ワシも出来ることはしてやらねばな」
老人は既に冷め切ってしまった残りのお茶をすすり、少し渋い顔をして言った。
☆
「ハァ、ハァ、ハァ!」
ラルは走っていた。
歩きなれた川沿いの道を駆け上がり、一分一秒、いや一瞬でも早くたどり着こうと森の中へと跳び込む。まさしく全速力で、力の限りを尽くして少しでも速く、前へと斜面を駆け上がる。
「ゼェ、ハァ、ゼェ……」
しかし彼は普段に、全力で走ることをほとんど体験したことがなかった。
加えて明かりは青く輝く月明かりのみというこの状況は、いかに歩きなれた道の一つとはいえ駆けるラルにとって非常に困難なものだ。木の根や枯葉にいく度となく足をすくわれかけながら、必死に前へと足を出す。
まるで綱渡りのような、そんな危うい走り。その行為は走る本人の想像を超えるほど早く、大幅に体力を消耗していく。そのため長くせずに疲労で身体が重く感じられる様になり、足が上がらなくなってくる。
その結果―――
ぜぇ、ぜぇ、ゼ……っぅぁわああ!
ゴツッ ゴロゴロゴロッ
―――いずれ耐え切れずに、その身を山の斜面に転がすことになる。
ただでさえ上り斜面。それも木々の根が張り出し、まるで階段の様になっている中を彼は駆け登っているのだ。足が上がらなくなれば爪先を根に引っかけ、こうなることは必然的かもしれない。
「畜生!なんでッこんな時に邪魔を………」
《やめて!》
ラルが苛立った声をあげて腕を振り上げた時、頭に直接声が響いた。
自分が足を引っ掛けた木の根を見ていたラルが、声に驚いて顔を上げる。そこには翠の髪が艶やかな、一人の幼い少女がおびえた表情で立っていた。
《ごめんなさい。謝るから、叩かないで………》
「キミ、は?」
《あたしは、ラルさんが足を引っ掛けられた『根』をもつ木、その木に住んでます》
「じゃあ………キミは精霊?それとも妖精?」
《あたし達の事を人々がどう呼んでいらっしゃるのかわかりませんが、そのどちらかなのかもしれません。あたしはまだ若い木なので、ろくに“力”もなくて……この青い月の日にしかお話することも出来ませんけど》
「……なぜ、この蒼夜月の日ならそれが可能なんだい?」
《あの丸い月が青く輝くこの夜は、あらゆる命の存在が強く、生命の力が大きくなります。なぜそうなるのかは、あたしにはわかりません》
「生命の力が大きく?」
《そう!ラルさんも、あたしも。二人とも存在が強く大きくなっているから、こんな風にお話出来るんです。
本当は、普段もあたし達はみんなラルさんに話しかけているんだよ?》
「…みんな?」
《そうだよ、ほら!》
「……!」
すこし表情に笑顔を浮かべた木の精の少女に促されて、ラルが周囲を見てみる。すると周囲には何十人という少女達が、ラルと目の前の少女を取り囲む様にして彼を見ていた。
少女達は年齢も姿もそれぞれバラバラで、中には人の姿はしているものの淡い緑の光を放って半分透けている娘もいる。
「この娘達はみんな……?」
《そう、あたしと同じ、この森の木に住んでるんだよ。驚いた?》
「……驚いた。正直、驚いたよ」
《ラルさん、普段はあたし達に優しいから、みんないつも見ていたんだから》
「………姿がしっかりしていない、透けている娘がいるけど?」
《それはあたしよりも若くて、まだ意識そのものがハッキリしていない娘。母体になる木がどれくらい成長しているか、どれくらい意識がしっかりしているかで姿が変わるの》
「……じゃあ、髪の色は?キミや、みんな、緑の髪をしているけど………」
《サラ様のことでしょ………》
―――サラ“様”?
《ラルさん、早くサラ様のところに行ってあげて!細かいことは、サラ様のところに行く間にあたしが説明するからッ………》
☆
同時刻、薪決めの場―――
ラルが森の木々たちと『対面』している頃、村でもっとも大きな家、村の長の家の広い一室に大勢の村人が集まり、座していた。
「みなそろったか?それではこの冬の薪決めをしたいと思う」
知り合う者が集まれば、当然のごとく会話が生まれる。そのざわめきの中で長は頃合いを見計らい、上座に一人立ち上がって声を上げた。
「今年は、そのまま薪とすることの出来る倒木がない。残念だが我々に多くの恵みを与えてくれる森から、木を切り出さねばならない。そこで皆に意見を求めたいと思う」
そうして『議』は始まった。
しかし、『議』と呼べるほど意見が飛び合うことなく、村人の意見は一致してしまった。
長の提案した、ある老大木で皆が納得したためだ。
村人はみんな、自分達がどれほど『森』に恵みを受けているか、良く知っている。
それゆえ切倒さざるえない木は少しでも少なく、そして与えられる恵みの少ないものへと声が集まるのは自然なことなのかもしれない。
一本で何本分もの『薪』が採れ、そしてもはや『恵み』が望めない木。それは巨大な老木しかありえないだろうと。
「それでは森一番の老木を、これから到来する冬の薪とする。これに異議はないか?」
「異議あり、じゃ」
一つの声が上がった。
誰もが決まりだろうと思っていた。そのため皆が、沈黙を保っている中での一つの声。その場にいたすべての人の目が、その声の主に集中した。
「正確には意義と言えるほどのものではないのじゃがな、少しだけ話しをさせてもらえんじゃろうか?」
声の主、それはあの老人だった。ラルの向かいに住む老人の………
「兄者………」
その声の主が誰なのか気付いた村長が、少なからず驚愕の声をあげていた。
「すまんの、弟よ。『政』を嫌って早々にお前にすべてを委ねてしまったワシが、いまさら口を挟むのもなんではあるのじゃが………薪となる木があまりに安易に決まりすぎる今の『議』に、少しモノを語りたくての」
「………いえ、森から木を切ることは村の者の総意で決まること。兄者も村の者ならば、意見を言う資格はございます」
老人にそれだけ答えると、『弟よ』と呼ばれた村長はその場に再び座した。決して緩やかな表情をしていないが、彼の行動に少しざわめき出していた他の村人達も小声を止めて老人の言葉を待つ。
そして、老人が口を開いた。
けっして大声とは言えない、だがとても朗々とした通りの良い声が辺りを包むかの様に響き渡る。
……今、ワシ等は冬を目前にして、暖を取るための薪を準備しなくてはならない時期にいる。そのためにこうして集まっているわけじゃが、皆はなにを基準に薪となる木を選んでおる?
おそらく皆は少しでも切る木は少なく、そしてもはや恵みのない木を選ぼうとしておるんではないか?
「……その考え方は間違っている、と言うですか?」
老人の言葉に、一つの反論が出た。その意見に老人は首を横に振ってみせる。
「いや、決して間違ってはおらんじゃろう。しかしの……」
しかしワシ等の行おうとしていることは、一つの生命を絶つことに違いない。はたしてワシ等の意思で、それを行って良いものじゃろうか?
「だが、薪が無くしては暖が取れません。暖が取れなくては冬に死人が出ます、特にあなたのようなお年めいた方が危険です!」
「そうかも知れん。確かに暖が取れぬなら、ワシは真っ先に凍え死ぬかも知れん。ワシ等が生きていくには、暖は必要なものじゃ。ここでなにを言おうと薪は必ず必要になる」
「では、なぜこのようなことを?」
「先も言ったが………」
ワシ等のしていることは、ワシ等の命を守るために他の命を殺していることに、間違いない。ワシはその行為があまりに安易に決定していることが良くないと思ったのじゃ。
「ですが今年は不幸なのか、幸いなのか、今まで多くの恵みをもたらしてくれたあの大木がついに恵みの実はおろか、若葉すら出ませんでした。すでに亡くなってしまったと言っても過言ではない、あの枯れ木があるのです。迷うことはないでしょう?」
「枯れ木を守るために、恵み豊かな若木を切ると言うなら、それこそ本末転倒です!」
強い口調の意見に、老人が振り向いてみる。拳すら握りしめてその意見を言ったのは、ラルと年も近いだろう若者だった。その事に気付いた老人は、『ふ……』と苦笑を浮かべて見せる。
「若人達よ、それは間違っておる」
「なにが間違っていると言うのです!多くの恵みをいただいてきた恩は、あるかもしれません。だからと言って、これから恵みをもたらしてくれる若木を切るということは……
…」
「違う、違うのじゃ。あの木は生きておる」
「は?」
「いまお主らが亡くなったと言った老木は、今も生きている。わずかに一枝のみ若葉をつけ、わずか一つじゃが恵みを実らせたのじゃ。これが生きている証明でなくて、なんであろう?お主らが切ろうと言っているのは枯れ木ではなく、今なお生きる老木じゃよ。
そう、人にたとえるならばちょうどワシの様な、大した事の出来ぬ老人じゃ」
「………!」
あまりにわかりやすく、あまりに過激な例えに、その場にいた全員が言葉を止めた。
囁くような言葉も止まり、まったくの無音となった広い一室で老人の言葉が再びつむがれる。
森の恵みなくして、ワシ等が生きていくことは出来ないじゃろう。しかし薪無くして、ワシ等が冬を越えることは難しい。いずれのためにも、森の木を少しでも多く守ることは決して間違いではない。
「………ならば!」
「だが…いや、だからこそ、忘れてはならんのじゃよ。ワシ等が生きているということは、色々な生命に支えられているとこと。決して、軽んじてはいけないということを」
「……兄者、なにが言いたい?」
「なに、特に深い意味はないわい。言葉通り、命は大切にしなくてはいかんというだけじゃよ。いま皆が、老いたこのワシの声にも耳を傾けてくれる様にの」
老人は、ホンの少しだけ村長に笑ってみせた。それはまるでいたずらの成功した子供のように………
同時刻―――
老人が微笑んでいるころ、ラルは乱れた呼吸もそのままにゆっくりと歩みを刻んでいた。彼の前、わずか数歩の距離にはあの老木が青い月明かりに照らされている。
「サラさん、出て来てくれてないかな?」
彼は荒い呼吸もそのままに、ようやくたどり着いた老木に手をかけた。しかし身体を支えきれず、身体を反転させて背中を老木に押し当てた。
「たとえ隠れんボだとしても、消えてしまうなんてズル過ぎだよ。反則だよ?」
背中を押し付けて、老木に寄りかかろうとしたラル。だが疲労が溜り、ガクガクと膝の笑う足は彼自身の体重を支えきれそうにない。結局、滑り落ちる様にお尻を足もとの老木の根に乗せて、座る形になった。
「途中で木の、森のみんなの声を聞いたよ。ある一人の娘に、そこまでついて来てもらって色々説明してもらったよ。
今夜なら、もう一度話すことが出来るんだろう?」
《………》
「………サラさ…」
しばらく待っても声を返してくれない彼女に、痺れを切らしたラルが再び声をあげようとする。その彼に腕がニ本、背後から胸に廻された。
《私のことなんて、忘れてしまった方がいいのに………》
直接頭の中へと聞こえるような彼女の声………それは悲しい言葉のはずなのに、ラルには嬉しそうに聞こえた。木の根に座り木の幹によりかかっていたはずのラルの身体は、気がつけばとても柔らかく暖かなものに包まれている感じがしている。
「やっと、出てきてくれたね」
《私は、明日、死にます………》
「いきなりだね……それは今夜の“薪決め”のせい?それとも」
《私が何者か、もうご存知ですか?》
最初にかけた声とはまるで違う、とても悲しみに満ちた声。自ら色々と話してくれるサラにはもう違和感はなくなっていたラルにも、その声はとても異質なものに思えた。一瞬無意識に耳をふさぎたい衝動にかられてしまう、まるで『悲鳴』のように聞こえた。
ラルは眼を閉じて、一度大きく息を吐いてから、背後の彼女に振り向く。
「大体のことは……ね。ある程度は推測していたし、ここに来る途中、森のみんなにも聞いたよ」
《私は人々に『精霊』と呼ばれている者です。樹木の精とも呼ばれていました》
「森のもっとも長命な木の意思が、森の木々の共鳴とともに一つの意識として昇華する」
《そして私は永きに渡って森の守護者として、守りをする。いえ、してきました………》
「もう、疲れてしまったのかい?」
《……実体を持たない精霊が存在し続けるには、とても大きな『力』が必要です。その力は主に『生命の力』です》
「生命の力、か………」
彼は呟いて上を見上げてみた。そこには青く光る月と、星の輝く夜空に手を伸ばすかのような老木の姿が見える。
「君の母体になっているのは、やっぱりこの巨木なのかい?」
《……はい。もう限界です、この冬を越すことは出来ないと思います。
私の身体と言えるこの木が死んでしまったなら、私が存在し続けるための『生命の力』を得ることが出来ません。私も消滅してしまうでしょう》
「………」
《でも、それでいいのだと思います。元々私はこの木の意思が、森の意思へと昇華して生まれたんです。この木が死んでしまうなら、私も消えてしまうのが自然の成り行きでしょう………》
「………」
《私はあなたの森を思う心に引かれてしまったのでしょうね……本来なら、私達のような『霊』とあなたがた『人』との接触はあまり良いこととされていないのです。
そのために、初めて会った頃から最近まで………あまり色々語ることが出来ませんでした。ごめんなさい》
「じゃあ、今は最後だから、色々話してくれているのかい?」
《………》
それまで大人しく、言葉なく聞いていたラルが問い返す。その問いに彼女はなにも答えずに、彼の胸に廻した手に少しだけ力を込めていた。
「もしそうなら、何も話してくれなくてもいい。君がいて、笑ってくれている方がいいよ」
《私のことは、今夜限りで忘れてください》
「それは出来ない注文だよ。君のことを忘れたら、私の心には大きな穴が空いてしまう。小さな穴ならふさげても、大きすぎる穴は心そのものを壊してしまうから」
《私のことを思ってくださるのは嬉しい。でも、私のことを思えば思うほど、あなたは辛くなる………》
「なにか希望はないのかい?
君が生き続けられる可能性は………」
《………》
「君は、望みがあるから、無茶をしたんじゃないのか?
その前髪……あの一枝だけつけた若葉と、この実のように」
ラルは懐から今朝、渡された未熟なままの実を取り出した。
その実はこの老木から取れたとは思えないほど、みずみずしく艶やかだ。
「隠してちゃ、駄目だよ」
《………あなたは、知ってしまったから》
「なにを?」
《私が、『人』ではないことを知ってしまったから、だから……》
「……サラ、ちょっとゴメン」
彼はサラの手の中で身体を捻り、向かい合う形になった。
《え?え?》
二人の額がくっつきそうな距離で向かい合ったラルは、座っていたその場で彼女を自ら抱きしめていた。
「よかった……今朝みたいに手がすり抜けてしまったら、どうしようかと思ってたんだ」
《『人』ではない私を、あなたは本心で抱きしめてくれるの?》
「もう、そんなの関係ないよ。
最初、君が消えた時は恐かった。でもそれは君が恐いんじゃない、どうすればいいのかわからなかったから、恐かったんだ」
《……ありがとう》
「それは今から私が言う言葉だよ。
教えてくれないかい。君が生きることの出来る可能性を」
《……私の母体となったこの木は、もうすぐ命の灯火が消えます。
でも精霊なった『私』は、その存在を支える生命の力さえ補い続けることが出来るなら、消えてしまうことはありません》
「なら、私から、君の存在を支えるだけの力を取り続ければ………」
《それは不可能です。精霊である私を支えるには、とても大きな『力』が必要です。
ラルさん達のように、多くを封印されてしまっている“人々”が精霊の存在を支えようとしては、三日と持たずに衰弱していきます》
「たとえ三日でも一緒に居られるなら、それでもいい」
《……まだこれから何十年もある時間を、たったの三日で終わらせてしまうんですよ?》
「いいんだ、それでも。
君に会うまでの私の生きてきた日々はとても穏やかで、逆に言うと変化の乏しい日々だった」
《………》
「別に不満があったわけじゃない、幸せでもあったよ。でも日々少しずつだけど確実に季節という変化を見せてくれる森に比べて私の人生というものは、なんて変化の無いものなんだろうと思っていた。時には変化が欲しく思ったこともあるよ」
《…………》
今度はサラが、大人しく彼の話しを聞く番だった。
抱きしめあっていた二人はすでに身体を離し、すぐに触れることの出来る距離でお互い向かいあっている。
ラルは語る程に声が熱くなり、サラはその熱さに当てられたようにわずかに頬を紅潮させて聞いている。
「そして君が私の前に現れた。楽しかった、とても幸せだったよ。大して会話があったわけでもないのにね………
だから、いまさら元には戻れないよ。もしも君が、私の前からいなくなったとしても」
《………》
「………」
《………もう一つ、方法がなくはないです》
「どんな?!」
《わたしが……その、…になる方法………》
「へ?」
《だから、わたしが、『人』になっちゃうって方法です!
私が実体を持つ存在になってしまえば、あとの生命の力は極微少で十分ですから……》
「出来るの?!」
《……方法はある、と言うだけです。私が実体を持つ存在になるには、非常に多くの『力』が必要です。それこそ『人』の一生分に相当するほどの……》
「力って、生命の?」
うなずくサラ。
「なら話しは早い、足りない分は私から補ってくれれば」
《駄目です!
いま言ったように人の、一生分の『生命の力』です。それをラルさんから頂いたなら、逆にあなたが……》
「一生分に相当する『くらい』ってだけだろ?なら死ぬとは限らないさ。
君が人になって、それでも私が生きていれば、それでいい。全てが終わって無事なら、足りないものは継ぎ足せばいいんだから」
ラルは語っていた熱さのまま、高揚したままで成功を確信しているかのように笑ってみせた。
《そんな事言って、もしも足りなくて死んでしまったら?!》
「その時は、君も消滅してしまうんだろう?それなら構わないよ、私も死んでも」
《……そんなこと言うなら、頂いてあげません。人になることも挑戦しないもの》
「それでは、キミが消滅してしまう」
《いいです、ラルさんが死んでしまうよりは………》
「意味ないよ、それでは。きっと後追ってしまうだろうしね」
《後を追うって………まさか?》
「私にとっては、もう隣にキミのいない釣りなんてつまらないからね」
まだ少し紅潮の残った顔で、ラルは澄まして見せた。
そんな彼にサラは、本当に困ったような苦しい表情を見せる。
《……それって、脅迫です》
「そうかもしれない。でも……」
ラルは再びサラの手を取ると、彼女を軽く自分の方へと引き寄せた。突然のことに少しよろめいた彼女を優しく抱きしめる。
「いつでもこうして抱きしめてあげたいから………君が喜んでくれるなら」
《ズルイです、そんな言い方。
残り多い命を賭されるのは、あなたなのに》
「本人が良いって言っているのだから、いいんだよ。それに………」
《それに?》
「一つやり残したことがあるから。だから私は死ぬ気、サラサラ無いから」
《やり残したことって、なんです?》
「……まだ内緒、だよ」
好奇の表情で見上げるサラに、彼はちょっと戸惑ってそっぽを向いてしまった。
ジッ……と見上げるサラ。
彼女の視線と、チラリと横目で彼女の様子を見ようとしたラルの眼があってしまった。途端にラルの顔が、また真っ赤に染まってしまう。
《………いじわる》
「な、なんで?」
《私には隠しちゃダメだよって、言ったのに》
「そ、そんなこと言ったって、その、えと………そ、それより、ほら、蒼月夜の夜って生命の力が大きく強くなるんだろ?月が傾く前に、ちょ、ちょうどいま真上にあるんだ
し!」
《………プッ》
「ぷ?」
ラルは慌てて話しの矛先を変えようとした。彼女から視線をはずし老木を見て、空を見上げて………それに気がついた時、彼女は身体を小刻みに揺らして笑いをこらえている真っ最中だった。
そのことにようやく気付いた彼は、不機嫌そうに憮然とした表情を見せた。が、それもすぐに苦笑に変わった。
「……もうそろそろ良いかな、サラさん?」
《そうですね。ゴメンナサイ、笑いすぎちゃった》
「いいよ。そんなに笑う君を見れたのも初めてだし、少し得した気分だから」
今度はサラが紅潮する番だった。
交互に新しい発見をして、それをお互いに楽しみ喜び合う……いままでと同じ二人だけの、今までとは違う楽しい時間。
《……こんな楽しい時が、いつまでも続けば良いのに》
「“いつまでも”は、無理だよ」
自分の言葉を簡単に否定してしまった彼を、サラが少し悲しげな表情で見つめる。そんな彼女にラルが微笑んでみせた。
「この森の歴史を見てきたんだと思う、君の生涯とくらべたらきっとほんの一時」
ラルは彼女の手を軽く握り、そしてあいた手ですぐ側の巨木に触れた。
「私が君を幸せにしてあげられると思うのは、ほんの数十年でしかないから」
《それで十分です……私だって、本当はこの冬を越せないかもしれない“おばあちゃん”なんだから》
サラも彼と同じように自分の母体に触れて、そして苦笑してみせた。
「さあ、始めよう。私はなにをすればいい?」
《……それでは、一口だけ、私の実を食べてください》
「一口?」
《一口だけ、お願いします。十分実らせることが出来なくて、全然美味しくないと思いますけど………》
「今はそんなこと、全然気にしないけど………じゃあ、一口」
シャク……もぐもぐ………
《その未熟な実は、私に残っていた『力』のほとんどすべてです。非常に強力な力の固まりになっています。もちろん、これから行うことに、その実に貯めたすべての力を使います》
「え?!そんなの私が食べては、まずかったんじゃ………」
《いいんです。私の母体であるこの巨木に残るわずかな『力』、その実に宿した『力』。その総力を持ってしても遠く及ばない分は、結局ラルさんに頼らざるがえないのですから………》
「本来、君がそのまま使えるはずの『力』を、わざわざ私の体を通すようにしたわけかい?それなら確かに『力』の総量は変わらないかもしれないけど………なんでそんなまわりくどいことを?」
《その実は私のすべて、私の思い。あなたに食べてもらいたかった………それではいけませんか?》
彼女の話を聞いて、ラルは自分のカジった実を見た。次いで巨木を見て、そしてサラを見て、紅くなりっぱなしの顔で照れていた。
「あ、あ〜……あとは?」
《ラルさん、顔が紅いですよ?》
「あ、紅くさせたのは誰だよぉ……今日はノボせそうだ」
《ふふふッ、あとは私のそばにいてくだされば、それで十分です。きっと急速に力が抜けていくと思いますけど………私を信じて待っていてください》
「……わかった。でも、急速に力が抜けていくなんて怖いから」
ラルは言葉を切って、一度正面からサラを見つめる。
そして彼女を抱きしめた。
《ら、ラルさん?》
「怖いから、このままでいさせてくれないかい?」
《………私も怖いから……嬉しい。ありがとう…》
キィン!
鋭い金属のかち合うような音とともに、周囲の雰囲気が一転した。
それまで穏やかな蒼月の明かりに照らされ、静かにたたずんでいるかの様な森の木々が一斉にざわめき始める。
「なんだか君に言われてばかりだね。私も言いたいのに、『ありがとう』って」
《なぜ?あなたが命を賭してくださる事で助けられるのは、私のなのに》
彼の言葉に、サラは不思議そうな表情を見せた。
見えない強力な『力』に、まるで怯える様に彼ら二人を中心に風が走る。多くの枯葉がその風に巻き込まれて、まるで壁の様に二人を囲っていく。そんな周囲の様子を背景にした無邪気にも思えるサラの表情は、とても違和感があるのにラルには不思議と可愛らしく思えた。
「サラ、絶対成功するって確信しているから……さっきの内緒、教えてあげようか?」
《聞かせて………きっととても大きな勇気になるから》
「それは……ね………」
ラルの声は、次第に大きく高くなっていく枯葉の壁の向こうに消え…………
そし………
「リムー?倉庫の掃除、終わった〜?」
おかしいわねぇ……倉庫の掃除が終わったら一度戻りなさいって、言っておいたのに。
もう日が傾いて………そろそろお店の方が込み出す時間なんだから、こっちを手伝わせないと。
「……リムー、いないの?」
返事がないわね………まさか、逃げ出したのかしら?
まぁ、確かにあの倉庫を一人で掃除するなんて、私でもちょっと嫌になってくるけど。
「リムー……あらあらあら、なによこのありさまは!」
私が倉庫の方へと来てみたら………
倉庫の扉は外れてそばにひっくり返っているし、倉庫の中はホコリだらけのまま。それどころか棚をひっくり返したみたいに本が落ちて山積みになってるじゃない。
私は掃除しろって言ったのに、いったいあの娘はなにをやっていたのだか………ねぇ?
「で、当のリムは?………あらら」
この娘ったら、こんなところで寝ちゃっているわ。
「リム、起きなさい。いくら夏だって言っても晩夏、もう秋もそばまで来ているんだから……風邪ひきますよ」
あら?
リムのそばに落ちている本………これを読んでいるうちに眠ってしまったのね。
「フフフッ、この娘らしいわね」
でも懐かしいわね、この本も。
私が初めて読んだのも、リムくらいの歳じゃなかったかしら?
あのころは私も、ほんと無邪気なものだった様な気がするわね………
―――この本、お母さんにそっくりの絵があるよ!
なんて言って。
今ごろどうしているのかしら………母さん。
「………」
考えてみれば、リムが産まれたことも知らないのよね………
一度くらい、連れて行ってあげた方が良いかしら?
パラリ……パラリ………
「あ、あった。……懐かしいわね、この絵も」
私が開いた最後の方のページ、そこには三人の親子の絵が描かれているわ。
右には、微笑む黒髪の青年。
左には、亜麻色の長い髪が美しい若い女性。
そして真ん中には、翠の髪の幼い少女………
「リムは……この絵を見てどう言うのかしら?」
あのころの私と同じことを言うのかしらね………
―――あ、見て見て!この人、お母さんにそっくりだよ!
―――真ん中の女の子は、アリア、あなたにそっくりネ♪
「フフッ、リム、あなたもこの娘にそっくりになったわね………」
そろそろ話して聞かせても、良い時期かもしれないわね。
この子にも………
……………
………
「………なんだかこの子の寝顔見ていると、話すだけ全然無駄な様な気がするわね」
ラウル君を見送りに、一人でけなげに先回りしに行く。
あの時、この娘の姿を見て感じた不安………
「ちゃんと帰ってきてくれるのか、そのままついて行ってしまわないか……お母さん、不安だったんだぞ?」
なのに私が、帰って来たあなたをなんで抱きしめて、どうして安堵したのか………わからないんだもの。いくら『親はなくとも子は育つ』って言っても、ちょっとは『彼』よりお母さんにも気を使って欲しいわぁ〜
………
………
……私も娘のこと、あまり言えないわねぇ
「………ほんと、母親って、大変。
ねぇ、お母さん?」